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of Casa CABaN HAYAMA

Story vol.14
13, Oct 2026
Casa CABaN HAYAMAの客室から望む森戸海岸。その先に続く岬の先端に佇むのが森戸大明神です。創建は平安時代末期の1180年。のちに鎌倉幕府を開く源頼朝がこの風光明媚な森戸海岸を深く愛し、創建したと伝えられています。
およそ850年前の葉山の海岸線は、現在よりも沖合まで陸地が続いていたとされ、岬の先に見える美しい朱色の鳥居が立つ小さな島「菜島(なじま)」も、かつては森戸海岸と陸続きでした。そこには頼朝公の別邸があったとも言われています。 「龍神宮」と呼ばれる祠がある島内には、今も頼朝公が掘らせたと伝わる井戸の跡「頼朝の泉水」や建物の柱跡など、創建当時の面影を感じさせる名残が残されています。
「本殿の裏手にある御神木や、その上にある祠の場所が、実は森戸大明神発祥の地なのです。創建される以前から、ここには赤坂の日枝神社と同じ『大山咋神(おおやまくいのかみ)』をお祀りする『日吉社』がありました。これほど素晴らしい景勝地だからこそ、頼朝公が厚く信仰していた三嶋大社の神様を御分霊としてお迎えし、お祀りしたのが森戸大明神の始まりなのです」そう守屋隆広祢宜が話してくれました。

土地の安寧を願う祈りが毎日捧げられる。
深い歴史と由緒を持つ森戸大明神。鳥居をくぐって境内へ足を踏み入れると、美しく掃き清められた参道の先に、海を背にして豊かな緑に包まれた本殿が佇んでいます。
「私たちは『日供祭(にっくさい)』という祈りの儀式を、毎朝必ず行っています。神社はご祈願をしたり、お守りを受けたりするだけの場所と思われがちですが、私たちの務めの基本は、毎日神様にお食事をお供えし、地域の安寧を祈り、神様のお鎮まりになる大切な場所を守ることにあるのです。日々の清掃で常に神様のそばを清浄に保ち、不都合がないように環境を整えること。そして皆様をお守りくださいと祈り続けるのが、本来の神社のあり方なのです」
守屋禰宜の言葉通り、ここでは日々、葉山という土地の安寧を願う祈りが静かに捧げられています。掃き清められた空間では、誰もがその凛とした空気を肌で感じることができるはずです。森戸大明神の正式名称は「葉山郷総鎮守 森戸大明神」。まさに葉山という土地全体を見守り続ける、地域の人やこの土地を訪れる人にとっての心の拠り所なのです。
私たちが撮影で訪れた日は、「例祭(例大祭)」の日でした。例祭は、全国に約8万社ある神社にとって、年間の行事で最も重要とされるお祭りです。森戸大明神の例祭は、1180年9月8日の創建を記念して執り行われる、いわば“神様の誕生日”。鳳笙(ほうしょう)や篳篥(ひちりき)といった雅楽の雅やかな音色が境内に響き渡るなか、神社本庁より献幣使(けんぺいし)を迎え、氏子総代や多くの参列者とともに厳かに神事が執り行われました。

2026年に執り行われた例祭の様子。

例祭の日に奉納される湯立神楽(鎌倉神楽)。

各町内会の神輿が海に入る「浜降り」の儀式。
9月の例祭のほかにも、11月23日の五穀豊穣に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」や、春に向けて五穀豊穣を祈る3月の「祈年祭(きねんさい)」など、森戸大明神では四季を通じてまつりごとが行われています。これらは「三大祭」と呼ばれる神社で最も大切なお祭りであると同時に、地域に暮らす人々にとっての楽しみであり、暮らしの節目をととのえる大切な行事でもあります。そこからは、土地と神社の深い結びつきを感じ取ることができます。
「昔は今のように地質学が進歩していませんでしたが、それでも神様の鎮まる場所が適当に選ばれることはありませんでした。古来、神社が建立される場所は、地形的な安全性と、霊験(神仏の不思議な力)の双方を考慮して選ばれてきたのです」
実際、森戸大明神境内の最奥に鎮座する現在の本殿は約400年前に建てられたものですが、これまでに一度も津波の被害に遭っていないといいます。「1923年の関東大震災の際には、葉山にも6メートルを超える津波が到達したとされていますが、その時も本殿に津波の被害はなかったそうです」
神様が鎮まる土地には、やはり目には見えない特別な力が宿っているのかもしれません。海に突き出るようにして佇む森戸大明神。晴れた日には、海に面した遥拝所の向こうに雄大な富士山の姿を望むこともできます。Casa CABaN HAYAMAでのご滞在の折には、ぜひこの海辺の杜をお訪ねください。一歩足を踏み入れれば、自然と呼吸が深くなり、心をととのえてくれる静謐な時間が待っています。

参考資料 : 森戸大明神HP